<Life>

 

 

 

カメラマンという仕事は光の魔術師であり、イメージの創作者です。(少なくともそうあるべきです)これが更に写真家と呼ばれる立場になると、確固たる世界観を写真だけで構成し、そこに言葉は存在すらしてはいけないことになります。

 

そんな世界の片隅にいる僕でも時に、言葉の力を噛みしめることがあります。

 

 

先日、僕のキーマンとも言える友人とミラー(合法のライトドラッグ)をしていた時、何かの折にふと彼が言う。

 

 

「もしも今、ここで何かがあったら、オレはお前よりも先に死ぬ準備ができている」

 

 

天気の話でもするような口調の彼を前に、僕は唇をかんで、下を向いてしまった。危なく涙が出そうになった。さすが、このプラネットで最も危険な街・モガデッシュに生きる人間の覚悟と人生観、そこからくる人間愛は違う。

 


そして偶然ですが、自分自身も同じ言葉を以前、口にしていたことを思い出しました。あれはたった一人の甥っ子が小学生の時、交通事故の話をしていて

 

 

「お前が今みたいに飛び出す、車にはねられる。意識不明の重体になる。その時もし、お前が生き返るなら、腕の一本くらい、いつでもくれてやる。極論を言えば、お前が死ぬならオレが死ぬ」

 

 

甥は下を向いていた。

 

命のことを軽々しく言うものではないし、自己犠牲に酔っているつもりもありません。ただ思ったのは、あの時の彼の顔は僕であり、あの時の彼の言葉は僕だったんだ、ということです。

 

 

そして、ただ一つ言い切れること。それは、そんなことを言ってくれる人がいるということ、そして、言う相手がいるということ。これはもう紛れもなく、言葉にならないくらい、恐ろしいくらい幸せなことなんだ、ということです。

 

 


僕はこの先もう、言われることはないだろう。再び言うことは、あるだろうか? そんなことをベッドの上で考えた、今夜でした。

 

 

 

 

 

 

(注:その甥も成人したので、もーそんなこと絶対に言いません!僕がお年玉をせびっています)

- comments(0) trackbacks(0)
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://blog.takeshikuno.com/trackback/148


Log in | RSS1.0 | Atom0.3 |